東日本大震災と日本神話にまつわる壮大で不思議な話

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2011年3月11日、日本人なら忘れもしない東日本大震災。

そんな未曾有の大震災から1ヶ月ほど経ったある日、不思議な出来事がありました。

その不思議な出来事のお話をする前に、少し日本の神社と日本神話について意外(?)な事実をお話したいと思います。

izumo
まず縁結びで有名な出雲大社。祀られているのは大国主大神(おおくにぬしのおおかみ)です。
そんな出雲大社のご神体が、実は西を向いているというのをご存知でしょうか。
出雲大社では参拝する際、北を向いて拝むのですが、正面から参拝すると、神様の横顔を拝んでいる形になります。
何故、西を向いているのか。実は明確な理由はわかっていないようです。

kasima
場所は変わって、茨城県の鹿島神宮。祀られているのは武甕槌大神(たけみかづちのおおかみ)です。

この鹿島神宮のご神体は、出雲大社とは逆に東を向いているのです。
鹿島神宮の本殿は北向きに建てられているので、参拝する際、やはり神様の横顔を拝む形となります。
何故本殿が北向きなのかについては、当時未開発の地であった東北地方に力を及ぼすためということのようですが、ご神体が東向きなのは何故でしょうか。太陽が昇る方角を向いているということでしょうか。

ご神体が西向きの出雲大社と東向きの鹿島神宮、それぞれ祀られている大国主大神と武甕槌大神にちょっと面白い話があります。

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日本神話の中で有名な『国譲り』。

ざっくりいうと、大国主大神が葦原中国(あしはらのなかつくに)を高天原(天上の神々の国)を治めていた天照大神(あまてらすおおかみ)に献上したという神話です。
(※ここでは葦原中国は出雲地方を指すと解釈しています。)
高天原の天照大神が地上の神を服従させようと色々やるのですが、遣わした使者が帰ってこなかったりと、なかなかうまくいかないので武力で解決しようとします。
その際に派遣されたのが武甕槌大神でした。
武甕槌大神は大国主大神に対し、「葦原中国は我々が治めるべきだ」と言います。
大国主大神は自分の一存では決められないので息子である事代主神(ことしろぬしのかみ)に聞いてくれ、と伝えます。
すると事代主神は仰る通りに葦原中国はあなた方に差し上げましょうと言いました。

しかし、そこに現れたのが大国主大神のもう一人の息子である建御名方神(たけみなかたのかみ)です。

建御名方神は「国が欲しいなら力比べをしよう」と言いだし、武甕槌大神に掴みかかります。
しかしコテンパンにやられて怖くなり建御名方神は逃げ出しました。

逃げる建御名方神を武甕槌大神は追いかけます。
そして諏訪湖あたりまで追いつめて組み伏せてしまいました。

組み伏せられた建御名方神は「私は諏訪の地から外には出ません。葦原中国はお譲りしますから助けてください」と命乞いをしました。

こうして建御名方神が祀られる諏訪大社が出来上がったのですね。

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と、ざっくり簡単に国譲りについて書いてみましたが、要するに

出雲大社=大国主大神=葦原中国(地上)
鹿島神宮=武甕槌大神=高天原(天上の神々の国)
諏訪大社=建御名方神=諏訪(武甕槌大神にやられた)

という形になります。
これを踏まえたうえで、ちょっと面白い説と不思議な話があります。

まず出雲大社と諏訪大社のご神体がそれぞれ逆を向いているのは、葦原中国と高天原の因縁を表しているのではないかということです。
もちろん色んな説があるかと思いますが、個人的には割としっくりきました。

そして話は現代に変わり、東日本大震災から1ヶ月経った2011年4月11日、鹿島神宮近くの海岸に長さ130cm幅20cmの諏訪大明神と書かれた御札が流れ着きました。
海岸で拾われた御札は鹿島神宮の神主が受け取り、その後諏訪大社に戻されました。

神主たちは国譲りでは争いがあったが、今までの争いは忘れて助け合うようにと海の神が武甕槌大神に御札を届けたのだろうと噂したそうです。

1000年に一度と言われる大震災に直面し、数千年の時を超えて神々が助け合おうという気持ちになったのかもしれません。

なんだか浪漫を感じますね。

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