古代核戦争はあった?なかった?モヘンジョダロの真相

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モヘンジョ=ダロ

紀元前2500年から紀元前1800年にかけ繁栄し、最大で4万人近くが居住していたと推測される。しかしその後短期間で衰退した。原因としてさまざまな説があげられたが、近年の研究では大規模な洪水で衰退したと考えられている。(Wikipediaより)

超古代文明、古代核戦争説ではお馴染のモヘンジョダロ遺跡。

オカルト的に話題となっているのは、古代核戦争の研究者ダヴェンポートが訪れたとされる、モヘンジョダロ近くの現地の住人から「ガラスになった町」と呼ばれる場所のことです。

ダヴェンポートによると、黒いガラス質の石が800メートル四方をびっしり覆っているとか。

このガラス質の石は高熱で溶けた砂が再度固まったものだそうです。

同じようなものは、核実験が行われた砂漠でしか見つかっていないとのこと。

と、ここまで書くと本当にそういう場所があって、古代に核戦争があったのでは!?と思ってしまいそうなものですが、まず、その場所を見たという人がダヴェンポートしかいないんです。

地元でタブーとされている場所」だから場所を明らかにしないとか。怪しさ満点ですね。

証拠となっているものも専門家から捏造を指摘されています。

そもそもGoogle Earthでモヘンジョダロ周辺の衛星写真を見ることができますが、800メートル四方もの「ガラスになった町」らしきもの自体が存在していないようです。

モヘンジョダロ自体もインダス文明期以降、洪水や火災が原因で興亡を繰り返していたことが分かっているので、恐らく普通の遺跡でしょう。

古代核戦争説については、他にも色々な場所が話題になりますが、いまいち論拠に乏しい気がします。

個人的には古代核戦争はなくとも超古代文明はあってほしいな、と思います。

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コメント

  1. radicon より:

    現場に行っている研究者にとっては、古代核戦争説は全く意味がわからないみたいですね。世界遺産なので、もしガラスの町があるならお金もらって案内すると思いますし。

    「モヘンジョ・ダロ」は現地の言葉で死の丘を意味して、昔から行ってはいけない場所だったようです。現代でもインダス語が解明されていないので、本当の名前がわからないというのが一番の謎。

    • Masshi より:

      コメントありがとうございます。
      そうなんですよね、言い出した本人しか見たことないなんて正直なところ胡散臭いですね。
      死の丘というのも恐らく他の理由によりそう呼ばれている気がします。

      でも本当の名前もわからないとか謎というかロマンというか…。
      科学が発達してきて都市伝説や超古代文明が否定されてしまうのは寂しくもありますが、それでも否定できないオカルトを追い続けたいと思います(笑)

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